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竹久 夢二 版画展
■1月12日(日)~2月28日(金)
■西武館2階=特設会場
大正ロマンの寵児「竹久 夢二」
人々の心に訴えるその魅力を見事に再現したのが、木版匠「松永 安生」の「竹久 夢二 松永版」です。
一連の木版画は、画像の再現であると同時に夢二の世界を今に伝える芸術の極地でもあるのです。
(画像:竹久 夢二《黒船屋》)
※写真はイメージです。
※数に限りがある商品もございます。売り切れの際はご容赦ください。
★画廊カンヴァス城山 開廊23年を記念して絵画展を開催!
国内外で活躍する有名作家をはじめ新進気鋭の画家、画廊注目のアーティストなど、各方面で活躍する方々の作品を月替わりで展示いたします。
★第3弾は「竹久 夢二 版画展」
明治後期より流行挿絵画家として活躍。
大正期には西洋からの様式・風習を昇華した大正ロマンと呼ばれる流行を牽引して大衆から絶大なる支持を得る。純然たる美術の絵画界とは一線を画し、文壇・歌壇との交流が深く同時期の作家と多くの合作を残す。
夢二様式として確立した美人画は、現在も愛好家を魅了し続けている。
【竹久 夢二 略歴】
1884(明治17)年:9月16日岡山県邑久郡本庄村に生まれる。本名・茂次郎。
1902(明治35)年:上京。翌年早稲田実業学校に入学。
1907(明治40)年:岸他万喜と結婚。読売新聞社入社。
1909(明治42)年:他万喜と離婚。後に別居同棲を繰り返す。
1914(大正3)年:日本橋区呉服町に「港屋絵草紙店」開店。笠井彦乃と出会う。
1917(大正6)年:京都にて彦乃と共に住む。
1918(大正7)年:彦乃病臥。それぞれ東京へ戻る。
1919(大正8)年:お葉(佐々木カネヨ)がモデルとなる。
1920(大正9)年:彦乃が順天堂医院にて死去。
1921(大正10)年:お葉と渋谷宇多川町に世帯を持つ。
1923(大正12)年:「どんたく図案社」を設立するが、関東大震災で潰滅。
1924(大正13)年:東京府荏原郡松沢村にアトリエ付住宅の「少年山荘」を建設。
1930(昭和5)年:榛名山美術研究所設立を発表。
1931(昭和6)年:渡米。ハワイ経由でサンフランシスコへ。
1932(昭和7)年:パナマ経由でハンブルクへ。ヨーロッパを転々とする。
1933(昭和8)年:神戸に帰着。その後台湾へ行くが、病状悪化させ帰国。
1934(昭和9)年:9月1日信州富士見高原療養所にて死去。雑司が谷墓地に埋葬される。(51歳)